橿原の地で聖徳太子に近づける!?

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神武天皇のイメージが強い【橿原】ですが、実は皆さんもよく知る聖徳太子ゆかりのスポットが数多く存在しているのをご存知ですか?今回は飛鳥時代に日本の礎を担い、どこかミステリアスさも残す【聖徳太子】にスポットをあてたコースをご紹介!知れば知るほどに、これまでの聖徳太子のイメージが変わるかもしれません!

ルート

橿原 国源寺(大窪寺跡)

もともとここには大窪寺があり、国源寺は明治初年にこの場所に移築されました。太子の幼児期のお姿をしている「南無仏太子像」は、国源寺の横にある観音堂で不空絹索観音立像(ふくうけんさくかんのんりうぞう)と弘法大師像と共にお祀りされており、昭和50年に橿原市で初めて市文化財に指定され、昭和53年には県指定有形文化財に指定されました。この南無仏太子像は我が国に現存する像の中では最古のものとなり、一般の太子像より一回り大きく、幼児期の姿という事もあり少しふっくらとした体つき。よくイメージされる太子様とは違う雰囲気があります。有形文化財に指定された事で普段はお目にかかる事はできませんが、だからこそそれぞれが太子様のお姿を想像する楽しみがあります。お堂の前に立ち耳を澄ませば、幼き頃の太子様の笑い声が聞こえてくるかもしれません。

国源寺イメージ1

南無仏太子像
幼児期のお姿といえど凛々しく力強い印象があります。頭部内側に1302年(正安4)に制作された事が考えられる墨書銘があり、その歴史を感じます。こんな幼い頃から「自分が日本の礎をつくる」と思われていたのでしょうか?
今までの太子様とは違ったお姿です。

国源寺イメージ2

南無仏太子像がお祭りされている観音堂。太子様と共に、不空絹索観音立像と弘法大使像もおられます。

国源寺イメージ3

普段は公開されていないため、観音堂前には不空絹索観音立像と南無仏太子像の説明書きがあります。

国源寺イメージ4

観音堂の向かいを見ると、大窪寺の柱を立てていた礎石があります。長径2.4m、短径1.5mもの大きさで、大窪寺がいかに大きかったか分かります。

国源寺イメージ5

不空絹索観音立像
観音堂の本尊でもある観音様。台座には「永禄6年(1563年/室町時代)、仏師:源次作」という墨書きがあります。様々な時代を観音様は見てきたのでしょう。

国源寺イメージ6

お堂の中はこんな感じ。普段見れない分、余計に興味が湧いてきます。向かって右側が太子様になります。

国源寺イメージ7

大窪寺の後進と言われる国源寺。
お寺には2m×2.5mの大きな涅槃図が保存されています。

国源寺イメージ8

お寺の横には、お地蔵をはじめとする様々な神様が町や町民を見守ります。近くには公園もあり、お寺のまわりは憩いの場として子供達の賑やかな声が聞こえてきそうです。

国源寺イメージ9

町民からも親しまれる愛くるしいお姿をしたお地蔵様。

国源寺イメージ10

庚申(こうしん)さん。さまざまな信仰や習俗などが絡んだ複合信仰があった事を意味する証。猿に似せてつくられました。

国源寺イメージ11

「ちんちろさん」と呼ばれ親しまれ、創建年代などは不明。平成25年に祀られているのが「狸」だという事が判明しました。

町に溶け込んだ、愛されるお寺

町に溶け込んだ、愛されるお寺イメージ1

大窪寺の跡地に立つ国源寺には幼き太子様がおられる観音堂をはじめ、美しい涅槃図などもあり、また周囲にはお地蔵さんや「ちんちろさん」もおられるという事で、ひっそりとしていますが見所が満載。南無仏太子像が県の指定文化財となった事から観音堂の中は普段見る事はできませんが、だからこそ想像をかき立てられます。
お寺のまわりは広く綺麗に整理され、近くには公園などもあり、近所の子供達の元気な声が響きます。幼少の頃の太子様のお姿という事で、太子様も子供達の声を楽しそうにお聞きになっている事でしょう。とても町に馴染んだお寺…そんな言葉がピッタリなスポットです。

観音堂

[住所]橿原市大久保町404
[電話]0744-22-5015
[アクセス]近鉄「畝傍御陵前」駅より徒歩4分

橿原 膳夫寺

本尊は虚空蔵(こくうぞう)菩薩で、他に聖徳太子像や弘法大師坐像、不動明王立像などが祀られます。聖徳太子妃の膳夫姫(かしわてひめ)が養母を弔うため建立した「膳夫寺跡」と伝えられています。

膳夫寺イメージ1

膳夫寺イメージ2

本堂前には膳夫寺の歴史などが分かりやすく解説されています。

膳夫寺イメージ3

まずは「三柱神社」へと歩を進めるので、「間違ったかな?」と思ってしまいますが、その右隣が膳夫寺なのでご安心を。

膳夫寺イメージ4

幼稚園と小学校の前を通ると案内柱があります。

膳夫寺イメージ5

保寿院に隣接する三柱神社は保寿院の鎮守の役割を担ったとも言われます。

【膳夫姫の伝説】
聖徳太子の一行を見る人垣ができる中、一人で芹(せり)を摘む少女がいました。この少女に聖徳太子が声を掛けると、少女は「母親の看病のため芹を摘んでおり、お見送りができません。お許しください」と答えました。太子は少女の気持ちに感心し歌を贈ると、少女も歌を返しましたが、この歌がすばらしく、太子は再び感心し少女は後に太子の妃になったという伝説です。

素朴で懐かしさも残るお寺

素朴で懐かしさも残るお寺イメージ1

幼稚園と小学校を横目に進むと、三柱神社と保寿院の案内柱が出てきます。更に案内柱に沿って歩けば、三柱神社の入口へ。この三柱神社は旧村社で、敬老のお祭の終了後に伝承行事として膳夫町・出合町の新生児から小学6年生までの児童達による「子ども相撲」が行なわれ、地域住民のつながり、そして子孫繁栄と健康を祈念するお祭りで賑わいます。その三柱神社に隣接するのが保寿院です。聖徳太子の妃膳夫姫の伝説と養母への思い溢れるお寺ですが、華やかでもなくひっそりとしています。しかし素朴な佇まいと学校から聞こえてくる子供達の声で、お寺に立っていると懐かしさに包まれます。そんなほっこりできる優しいお寺です。

膳夫寺

[住所]橿原市膳夫町
[アクセス]JR「香久山」駅より徒歩約13分、近鉄「耳成」駅より徒歩約15分

明日香 橘寺

聖徳太子生誕の地といわれ、太子建立の七ヶ寺の一つです。
606年、推古天皇の命を受け聖徳太子はこの地で勝鬘経(しょうまんきょう)を三日間読んだところ、大きな蓮の花が庭に降り積もるなど不思議な現象が起こり、これに驚いた天皇
の命によって橘寺が創建されました。
境内には善悪2つの顔が刻まれた二面石や、3つの副柱の穴をもつ塔心礎などが残っており、見所の多いお寺です。

橘寺イメージ1

本堂に祀られる太子様は35歳の時のお姿。また本堂手前にいる馬は太子様の愛馬「黒駒」。この愛馬に乗って各地の説法に趣きました。

橘寺イメージ2

分かりづらいですが奥には太子様が掘ったといわれる池「阿字池」があります。

橘寺イメージ3

太子様が勝鬘経をお読みの際に、日、月、星の光が放たれたといわれ、それらをかたどったものがこの「三光石」です。

橘寺イメージ4

左側

橘寺イメージ5

正面

橘寺イメージ6

右側

飛鳥時代につくられたと言われる「二面石」。右は善面、左は悪面と呼ばれ、人間の心の持ち方を表していると言われます。表情、分かりますか?

橘寺イメージ7

真向かいには薬師寺、大官大寺(大安寺)と並び、飛鳥の四大寺の一つに数えられ、現在は国の史跡に指定されている川原寺跡があります。

橘寺イメージ8

新西国霊場第10番のお寺でもあります。

橘寺イメージ9

飛鳥時代には約40mもの五重塔がありました。

優しく親切。見所満載、楽しめるお寺

優しく親切。見所満載、楽しめるお寺イメージ1

「こちらは初めてですか?」入山券を買った時、笑顔で話しかけてくれた受付の方。親切に境内図を広げ、お寺の見所や歴史を話してくれました。おかげでフムフムと楽しく納得しながら見れて面白さも倍増。見所も多く、周りは緑に囲まれ、穏やかに気分よく過ごせる気持ちのいいスポットです。

橘寺

[住所]高市郡明日香村橘532
[電話]0744-54-2026
[アクセス]近鉄「飛鳥」駅または近鉄「橿原神宮前」駅から明日香周遊バス「川原」または「岡橋本」下車、徒歩約3分
[拝観時間]9時00分~17時00分 ※受付16時30分まで
[拝観料]入山 個人:大人350円、中高生300円、小学生150円/団体(30名以上:大人330円、中高生280円、小学生100円 ※100名以上の団体は大人300円、中高生250円、小学生100円
[駐車場]普通車:20台(無料)※大型バスなし(堂の前駐車場3000円)
[ホームページ]http://tachibanadera-asuka.jimdo.com/(外部サイトへリンク)

ちょっと寄り道

久米寺(くめでら)

「今昔物語集」などに登場し、186歳まで「現役」だったことから長寿の神様としても愛される久米仙人をはじめ、約4,000株ものあじさいが見事な6月の第3日曜日に行われる「あじさい祈願」など見所の多い久米寺は、聖徳太子の弟にあたる来目皇子(くめのおうじ)が眼の病を患った時に薬師如来に祈願すると無事に治った事から感謝を込めて創建したとも伝えられています。更には弘法大師(空海)が真言宗を開くきっかけを得た寺として知られ、歴史も見所も溢れるお寺です。

久米寺(くめでら)イメージ1

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