歴史が生んだ不思議な世界を探訪!

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歴史と共に語られる伝説やミステリーは、時にゾクッとしたり、笑顔になったり、または感動したりと、そのスポットの魅力として人の心に残ります。このコースではそういった説話をメインに、スポットの違った一面を紹介します。第一回目は中大兄皇子(天智天皇)・中臣鎌子(藤原鎌足)・蘇我倉山田石川麻呂らによって蘇我入鹿が暗殺された「大化の改新」ミステリー。この事件は日本史の授業でも必ず教えられるものですが、犯人については詳しく教えられるのに対し、入鹿については「暗殺された」で終わる事が多く、また大化の改新に関する学説も多々あり、暗殺された入鹿にも多くのいい伝えが残されています。

ルート

橿原 宗我坐宗我都比古神社

蘇我馬子が蘇我氏の氏祖を祀った事を起源とする蘇我氏ゆかりの神社で、江戸時代には「入鹿宮」とも称され、今では「曽我さん」という愛称で多くの方に親しまれています。いい伝えでは中臣鎌足よって刎ねられた入鹿の首は、神社のある曽我町の東端に位置する「首落橋」付近の家に落ちたとされ、首が落ちたといわれるところにある家を「おつて屋(オツテ屋、オツタ屋、オツト屋など)」と呼ぶようになったともいわれています。

宗我坐宗我都比古神社イメージ1

推古天皇の時に蘇我馬子が社殿を造り、石川宿禰(いしかわのすくね)夫妻を祀ったのがはじまりといわれています。

宗我坐宗我都比古神社イメージ2

拝殿まで続く長い参道。そしてその先に見える拝殿。その真っすぐな道が神妙な気持にさせてくれます。

宗我坐宗我都比古神社イメージ3

拝殿に向かって右手前にはお稲荷さんも祀られています(八大夫稲荷神社)

宗我坐宗我都比古神社イメージ4

鳥居の横には、こじんまりとではありますが、駐車スペースになっています。

宗我坐宗我都比古神社イメージ5

神社は近鉄大阪線「真菅」駅より徒歩3分。駐車スペースが小さい事もあり、のんびり電車に揺られながら訪れるのも格別です。

街に、人に溶け込む、清々しい神社

街に、人に溶け込む、清々しい神社イメージ1

古代豪族として名を馳せた蘇我氏ゆかりの地・橿原には、今も「曽我」「蘇我」の地名が残ります。近鉄真菅駅で下車し西へ進むと、こんもりした杉の木が見えてきます。ここが蘇我氏ゆかりの宗我坐宗我都比古神社です。駅から近く、周りは民家という生活空間に溶け込む神社は、住民から「曽我さん」と愛称で呼ばれます。飾り気のない、どこか懐かしも残る清々しい神社です。

宗我坐宗我都比古神社(そがにますそがつひこじんじゃ)

[住所]奈良県橿原市曽我町1196
[電話]0744-22-6058
[アクセス]近鉄「真菅」駅から徒歩約3分
[拝観料]無料
[駐車場]普通車3台(無料)

橿原 入鹿神社

全国で唯一、蘇我入鹿公を御神体とする神社で、本殿は橿原指定文化財に指定されています。また祭神の蘇我入鹿公は、飛鳥に南淵請安が開いた塾で中臣鎌足を除いて蘇我入鹿公の右に出る者はいないと言われるほど頭脳明晰であったので、入鹿神社は学業成就の神としても有名です。言い伝えによれば、乙巳の変(645年6月12日)で蘇我入鹿が中大兄皇子や中臣鎌足らに倒された時、その首が小綱町に飛んできたのを祀ったと言われており、入鹿公は首を斬られたため、首から上の病にご利益があると言われています。

入鹿神社イメージ1

拝殿
蘇我入鹿は鶏の鳴き声を合図に首をはねられたと言われています。
そのため入鹿を崇敬する地元住民は、鶏を飼わなかったといいます。

入鹿神社イメージ2

拝殿の右斜め前には正蓮寺大日堂があります。
ここには重要文化財の大日如来座像が安置されています。

入鹿神社イメージ3

神社は少し入り組んだ場所ですが、案内板もあり、スムーズにたどり着く事ができます。

入鹿神社イメージ4

入鹿神社の板絵
拝殿正面の扉両脇には、随神像の代わりに板戸に随神さんの絵が描かれています。
描かれる随身(ずいじん、ずいしん)とは、平安時代以降の貴族が外出時の警護に付けた近衛府の官人のことです。
※制作年代不詳

入鹿神社イメージ5

本殿
室町時代の雰囲気を残す建造物として、昭和55年3月17日に橿原市指定文化財となりました。御神体は木像の素戔嗚尊立像と入鹿大臣坐像が奉安されています。

謎の多さが入鹿の魅力

謎の多さが入鹿の魅力イメージ1

インターネットなどで蘇我入鹿の事を調べると、本当に様々な説や言い伝え、そして謎が出てきます。「大化の改新」という誰もが知っている政変ですが、当然、私達は「その時」をリアルに見ていません。だからこそ色々な想像をするのです。個々がそれぞれの思いでスポットを訪ね、それぞれの大化の改新、それぞれの蘇我入鹿像を楽しむ。それが歴史の楽しみ方・醍醐味ではないでしょうか?神社の周りはひっそりとし、まるで入鹿が眠るようにご鎮座されているのを感じる事ができますので、ぜひ足を運び、それぞれの蘇我入鹿を心ゆくまで楽しんでください。

入鹿神社

[住所]橿原市小綱町311
[アクセス]近鉄「大和八木」駅より徒歩10分
[拝観料]無料
[駐車場]普通車5台(無料)※但し7月15日の「大日さん」当日は駐車場は使えません

明日香 蘇我入鹿首塚

ここには「乙巳の変」で斬られた入鹿の首がここまで飛んで来たという伝説があり、斬られた入鹿の首が鎌足を追いかけたため、鎌足は多武峰まで逃げたといわれ、その供養のために五輪塔が建てられたともいわれています。また入鹿の首は飛鳥寺に飛んできたという伝説もあるそうです。

蘇我入鹿首塚イメージ1

大化の改新において、中大兄皇子らに暗殺された蘇我入鹿の首が飛んできた場所に供養を込めて埋めたといわれています。この五輪塔自体は鎌倉時代か南北朝時代の建立だと考えられています。

蘇我入鹿首塚イメージ2

蘇我入鹿首塚イメージ4

飛鳥大仏

蘇我入鹿首塚イメージ3

飛鳥寺から首塚までは、綺麗に整備された道が敷かれています。両端は一面に緑が広がり菜園などもあり、のどかで懐かしい風景が楽しめます。

首塚は日本最古の本格的寺院・法興寺の後身であり、蘇我氏の氏寺でもある飛鳥寺の裏手にあります。また、お寺には年代が分かっている現存の仏像の中で日本最古と言われる「飛鳥大仏」もあります。価値の高い大仏様にも関わらず至近距離で見る事ができ、まさに歴史を肌で感じる絶好のチャンス!首塚と併せてぜひご覧ください。

蘇我氏ゆかりの地を満喫

蘇我氏ゆかりの地を満喫イメージ1

首塚の後は甘樫丘。万葉集などで歌われた植物が植えられた「万葉の植物園路」もあり、首塚のまわりは歴史を堪能できるスポットが数多くあります。

飛鳥寺を抜けると明日香の緑が見渡せる風景が一面にひろがり、その中にポツンと蘇我入鹿の首塚があります。ここには当時、蘇我氏の立派なお屋敷が数多くあったといいますが、実はこの入鹿の首が飛んで来た場所、中臣鎌足と中大兄皇子が初めて出会った場所でもあり、そこに首が飛んで来るとは何か因縁めいたものを感じます。首塚の後方には家族連れやカップルがピクニックなどで楽しめる甘樫丘もあり、蘇我氏ゆかりのスポットをミステリーにこだわらず、みんなで楽しめます。

蘇我入鹿首塚

[住所]高市郡 明日香村飛鳥
[拝観料]無料

明日香 気都和既神社

大化の改新により、蘇我入鹿は中大兄皇子、中臣鎌足らによって暗殺されます。首をはねられた入鹿は、鎌足を細川の上流、茂古森(もうこのもり)まで追いかけるのですが、そこに気都和既神社(きわつきじんじゃ)があります。この「茂古森(もうこのもり)」という名は入鹿の首に追われた鎌足がここまで逃げて来た時に「もう追って来ないだろう」といった事が由来とされています。

気都和既神社イメージ1

気都和既神社イメージ2

石舞台から多武峰へと続く上り坂を登ると緩やかなカーブが出てきて、そのカーブの途中に左に下りる下り坂が現れます※カーブに入ってすぐ出てきますのでお気をつけて!

気都和既神社イメージ3

下り坂を下りると気都和既神社が出てきます。散策コースにもなっているのでハイキングで来られる方もいます。

気都和既神社イメージ4

静かで緑が茂り、ひっそりとした境内。木々が太陽の光を遮り、夏でも涼しさを感じる事ができます。

気都和既神社イメージ5

「もうこの森」という名の由来や神社の歴史を解説した案内板もあり読み込むと、入鹿の首に追われた当時の鎌足を思い描く事ができるかも?

気都和既神社イメージ6

神社までの道中は明日香の緑と、のどかさが堪能できます。四季折々の明日香の景色が楽しめます。

神様とちゃんと向き合える神社

神様とちゃんと向き合える神社イメージ1

神社内に数個の石が点在していましたが、案内板によると、その中に鎌足が腰を掛けたと言われる石があるといいます。取材時、確認できませんでしたが、どれでしょう?

坂を下るとそこは別世界。森が茂り、ひっそりとした中に神社はあります。
実は明日香村には蘇我入鹿の首が飛んできたという場所が二カ所あり、一つは蘇我入鹿の首塚、そしてもう一つがこの気都和既神社と言われます。木々に囲まれ、うっそうとした感があるので、鎌足が逃げ込んだと言われれば思わず納得してしまいますし、正直、殺風景ですがある意味これこそ神様が鎮まる神聖な場所であり、この場所に立つと飾り気などは不要だとすら思えます。神様とちゃんと向き合える神社、そう思える神聖なスポットです。

気都和既神社

[住所]高市郡明日香村上172
[アクセス]飛鳥石舞台古墳から談山神社方面30分※冬野川上流
[拝観料]無料
[駐車場]なし

ちょっと寄り道

菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)

菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)イメージ1

様々な説がある「菖蒲池古墳」。その正体にしても論議が交わされていますが、その一つの説が「蘇我蝦夷が生前に築いた蝦夷・入鹿親子の「双墓」のうち、蝦夷の『大陵(おおみささぎ)』である」とするものです。「双墓」については、日本書紀にも記述があり、「蘇我蝦夷が自分のための『大陵(おおみささぎ)』と、息子・入鹿のための『小陵』の「双墓」をつくるため多くの人を集めた」とされているのです。とても精巧な家形石棺で知られ、昭和2年には国の史跡に指定され、平成19年(2007年)には見瀬丸山古墳や植山古墳、高松塚古墳などと世界遺産暫定リストにも記載されました。その答えは、はっきりして欲しいものですが、様々な説が生まれ、意見を交わし合うのも古代ロマンの醍醐味。あなただけの「説」を考えてみるのも面白いですよ!

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