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膳夫姫(かしわてひめ)の伝説

聖徳太子が行幸していた時、沿道の人々が太子をひと目見ようと人垣をつくっていました。その中でたった一人無心で芹(せり)を摘んでいる少女がいました。この少女を聖徳太子が不思議に思い、声を掛けたところ、少女は、「母親が病気で看病のために芹を摘んでいて、太子の行幸を見送ることができません。お許しください」と答えました。太子は少女の親孝行の気持ちに感心し、歌を1首贈りました。少女は太子に対して返歌を贈ったのですが、この返歌がすばらしかったので、太子は再び感心し、少女は後に太子の妃になったという伝説があるそうです.

町名の由来

「膳夫」(かしわて)の地名は、古代の天皇の食事を用意した専属料理人膳夫氏の一族が、現在の膳夫町一帯に住んでおり、また、古くは食器の代わりに木の葉を使用していたことから、これらの呼び名がついたと言われています。

 

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