今井町

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今井町は、本願寺の今井兵部が天文年間に建てた「称念寺」が始まりとされ、一向宗の拠点となったのち寺内町として発展しました。東西約600m、南北約310mの地区内には約1500棟弱の建物があります。
現在も江戸時代の町並みと風情が残り、世界的にも貴重な財産として平成5年に「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けています。また国の重要文化財が9件、県指定文化財が3件あります。

一向一揆の拠点から、商工業都市として発展

一向一揆の拠点から、商工業都市として発展今井町の始まりとされる称念寺を建てた今井兵部は、農民などを門徒化し、ここを拠点に一向宗の布教を進めました。
一方、戦国時代、その名を轟かせた織田信長は一向宗と敵対しており、一向一揆が各地で勃発していました。今井町も信長に反抗し、周辺に濠と土居を巡らせ、防御力や武力を整えました。見通しのきかない筋違いの道路や、九つの門跡がそれらを物語ります。

その後、本願寺の降伏や、交流の深かった堺の豪商と明智光秀のはからいなどで今井町は武装を放棄しました。以降、今井町は商工業都市として発展し、「今井千軒」「海の堺 陸の今井」と呼ばれるまでの成長を見せます。

経済的に豊かになった町民は茶道など文化・文芸に従事、特に華道・能楽・和歌・俳諧などが好まれ、各地との交流も盛んになりました。
豊臣秀吉が吉野詣での途中に今井の茶室で接待されたという記録も残っています。

時の幕府も注目した経済力と、独自の文化

時の幕府も注目した経済力と、独自の文化17世紀後半からは幕府領として支配された今井町ですが、農村が20~30軒程度だった当時に1,000軒もの家屋が集まる今井町は別格であり、また肥料や木綿、味噌、酒などの取引も盛んで、大名を相手にする金融業者も出てくるなど賑わいと活気ある町となりました。
また藩札と同等の価値がある独自紙幣「今井札」も流通させ、「大和の金は今井に七分」「金の虫干し玄関まで」と言われるほどの繁栄を見せました。

この莫大な財力は幕府も魅力であり、今井町に自治的特権を与えるなど優遇し、今井町も独自の掟をつくり自治自衛を徹底させました。
また地元の材料を使い、近隣の職人がその家で暮らす人に併せた工夫ある家づくりは、土地の風土や自然、歴史を色濃く反映させており、民家建築の貴重な財産となっています。
繁栄と共に独立した自治都市を築いた今井町、その成長は住民たちが力を合わせ誇りを持って守り抜いた結果なのです。

最近は町の中にカフェや雑貨店ができ、多くの観光客を迎え新しい歴史を刻んでいます。まぎれもない「本物」の歴史と空間を、時間を忘れ、ゆっくりとお楽しみください。

関連スポット

今井まちなみ交流センター華甍

今井まちなみ交流センター華甍旧高市郡教育博物館で、左右対称に翼廊(よくろう)が付く美しい明治建築です。
現在は今井町の歴史が詳しく分かる展示コーナー、映像シアター、図書閲覧室を備える資料館として開放されています。散策前の下調べはもちろん、散策途中の休憩にも利用され、気軽に使えるスポットとして人気です。
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今井まちや館

今井まちや館本町筋中央にある18世紀初期頃の町家。
明治以降、空家となっていましたが、今井町の大型町家の基本平面を持つ貴重な建物と分かり、痕跡資料をもとに復元されました。一歩入れば、そこは江戸時代。当時の佇まいに触れ、ここにしかない魅力と感動を味わえます。
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今西家

今西家1650年(慶安3年)の建築で、今井で最古の民家です。
全国的にもきわめて貴重であり、いくつも棟を重ねた八ツ棟(やつむね)造の家屋は、民家というより城郭建築の雰囲気を漂わせます。今西家は代々、惣年寄の筆頭で自治権が委ねられていたため、お白洲で裁きが行われるなど、住居としてだけでなく役場的な機能も併せ持ちました。
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