橿原神宮

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『古事記』『日本書紀』において初代天皇と伝えられる神武天皇と、皇后の媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)をお祀りするため、1890年(明治23年)、天皇の宮があったとされる橿原の地に創建されました。
名勝・畝傍山の東南に位置し、約50万平方メートルもの神域に檜皮葺き(ひわだぶき=屋根に檜の樹皮を使ったもの)で素木(しらき)造りの本殿と神楽殿があります。本殿と文華殿は国の重要文化財に指定されています。

日本最初の天皇・神武天皇とは

橿原神宮に祀られるのは、初代天皇とされる神武天皇(在位:前660年~前585年)です。
『記紀』によると、神武天皇は45歳の時、宮崎から瀬戸内海を抜け大阪難波に上陸しました。しかし生駒の豪族に行く手を阻まれ、そのまま南下し熊野に入りました。

そこで3本足の「八咫烏」(やたがらす)に出会い導かれ、吉野の険しい山を越えて大和に入り、周辺の勢力を従え大和地方を平定したのです。これが神武東征です。
そして紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)、橿原宮にて52歳で即位し、初代天皇となりました。
以降70年以上にわたる治世の後、古事記では137歳、日本書紀では127歳でお隠れになられたと記されています。

なお「神武天皇」という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が、歴代天皇を一括撰進した時に付けられたとされています。
また神武天皇が実在したか、という点については歴史学者や研究者の間で活発に意見交換されています。様々な説が生まれるほど、橿原や神武天皇の歴史の深さ・神秘さを感じられ、違う魅力を実感できることでしょう。

橿原神宮の新しい魅力

橿原神宮の新しい魅力橿原神宮が創建されたのは1890年(明治23年)と比較的近年です。
「神武天皇の御聖徳を後世に残したい」という民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇が、元京都御所の賢所(かしこどころ)と神嘉殿を下げ渡され、1890年4月2日に官幣大社・橿原神宮として御鎮座されました。

当時は、前年発布された大日本国憲法によって第一回衆議院選挙が行われた年で、国が「新しい日本」へと動き出し始めた頃。そんな時代背景を考えると橿原神宮は、まさに日本の歩みの象徴とも言えるのではないでしょうか。

神武天皇が即位されてから二千六百余年。それまでの間、歴史も時代も、参拝者の思考も変化し続け、橿原神宮にも新しい魅力が生まれています。
例えば近年では「パワースポット」として注目され、神武天皇が即位されるまでの道のりや長命などから“人生の導きが得られる”“光り輝く未来へ向かえる”“長寿をあやかりたい”と多くの若者も足を運んでいます。
時代と共に橿原神宮の魅力も増え、新しい姿を私たちに見せてくれるのです。

関連スポット

神武天皇陵

神武天皇陵畝傍山の北東、橿原神宮に北接する神武天皇陵は、周囲は約100m、高さ5.5mの八稜円形墳です。
玉砂利が敷かれた約300mもの参道を歩くと、荘厳な大鳥居が見えてきます。幅約16mの周濠がめぐらせてあるため、鳥居の前から御陵全体を見渡すことができませんが、玉砂利がきれいに掃き清められている様子が見られ、神々しい雰囲気を十分に感じることができます。
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夢淵・魚見石

吉野郡東吉野村小丹生川上の地で、神武天皇が「魚が浮き上がれば大和を平定できるだろう」と壷を夢淵に沈めたところ、魚たちがことごとく浮き上がり流れていきました。そこで神武天皇は天神地祇を祀り、結果、大和を平定したのです。神武天皇はその後、畝傍山の麓「橿原宮」で即位した際、大和平定の成功を感謝し天神の夢の教えの賜物として誠を捧げたことから「夢淵」となったといわれます。

八咫烏神社

建角身命(たけつぬみのみこと)=八咫烏を祭神としています。伝承によると、神武東征の際、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)によって八咫烏となり遣わされ、熊野の山中で停滞する神武天皇一行を大和の橿原へと案内し、皇軍の勝利に貢献したと伝えられ、このことから「導きの神」または「太陽の化身」とされています。また「軍神」としても崇められ、南北朝時代には後醍醐天皇からも深い信仰を頂きました。

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