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「谷家」
幕末の儒者 谷三山(たに さんざん)の生家が残っています。
「谷三山(たに さんざん)」
江戸時代の後期の儒者。享和2年(1802年)生まれ。慶応3年(1867年)没。
通称 新助、のちに昌平と改める。三山は号、別号は、淡庵、淡斎、釈斎。
八木村(現在の八木町)の米屋などを営んだ商家倉橋屋に生まれましたが、幼い頃目と耳を患い、聴力を失いました。ある時、兄の厚亭から小説の無稽を揶揄され、発奮して三山は、独学で正史経学に励み、兄とともに京都に遊学し、猪飼敬所(いかい けいしょ)に学びました。
その後、私塾「興譲館」を開き多くの師弟を指導していましたが、これが高取藩に認められ士籍を与えられ藩儒となり、教学を広め、尊王攘夷を説きました。
三山の卓越した学識を認めた頼山陽(らいさんよう)や吉田松陰など幕末の知識人とも親交があったということです。
所在地 | 奈良県橿原市八木町 |
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交通・アクセス | JR畝傍駅 徒歩約10分 近鉄八木西口駅 徒歩約11分 近鉄大和八木駅 徒歩約15分 |
時間 | 見学はできません。 |
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